哲学的概念に無限後退があるのをご存知ですか?これはある疑問に対する答えがさらに根本的な疑問を生み、それが永遠に連鎖していくことを指します。私は哲学の基礎すら学んでいない一般人であるため、間違った認識があればお詫びします。とはいえこの記事の本質は正しい哲学論文ではなく、私自身が一人の人間として幼い頃から考えていたことを共有することです。
さて、抽象的な話を長く続けると退屈であくびが出るため、ここで無限後退の一例を紹介します。無限後退が発生しやすいのは好奇心旺盛な子どもと大人の会話です。とある子どもが “なぜ大人は働くの?” と問います。ある大人は “働いてお金を得るためだよ” と言います。
- 子ども:なんでお金が必要なの?
- 大人:お金があると生活が豊かになるからだよ
- 子ども:生活が豊かになるとどうなるの?
- 大人:幸せになれる。みんな幸せを求めているからね
- 子ども:なんで幸せになりたいの?
- 大人:生き物は生きやすい環境、つまり幸せな環境が欲しいんだ。そのほうが種を存続しやすくなるからね
- 子ども:どうして生き物は種を絶やしたくないの?
- 大人:わからないけど、この世界がそうさせているんだ。あらゆる生物に対してね
- 子ども:この世界に宇宙があって、地球があって、私たちが必死に種を絶やさないように努力している理由は何なんだろう
子どもの語彙に合わせて文を組み立てるのは想像以上に困難なものです。とにかく、このような無限後退で最初にたどり着くのは “なぜ幸せになりたいのか” という疑問です。例ではこの質問を受けた時点で神のみぞ知る領域に到達しているわけですが、その大人は律儀に生物学と関連付けて答えていますね。もちろんこの先の回答は必ずしも生物学と関連付ける必要はなく、全く異なるアプローチで答えても面白いでしょう。私が実際に子どもに答えるとしたら、“なぜみんなは幸せになりたいんだと思う?” と逆質問をして子どもの創造的な脳内を覗き込みたいです。
そしてさらに理由の理由を求めていくと、最終的に宇宙の存在意義を疑うようになります。つまり私たちはなぜこの世界にいるのか、この世界がある理由は何なのかということです。私の意見では、この疑問に対する答えは用意できません。偶然に知ることができたところで、恐らく私たちは納得できないでしょう。現時点で世界の存在意義は完全に人智の範囲外です。そもそも私たちがお互いに同じ世界を共有している認識は正しいと言えるのでしょうか。おっと、話題が本質から逸れていますね。
科学的な事実によれば、私たちが住んでいる宇宙はビッグバンによって生まれたそうです。しかしビッグバンは人類が発見した量子やエナジーの前提のもとに成り立ちます。結局宇宙の始まりを知ったつもりでも、私たちの宇宙が生まれる前に量子やエナジーが定義づけられた理由や宇宙の外にある虚無に見える空間の存在と意味については全く知る方法がないのです。これらの議題については、私たちの日常生活においてそれほど重要な意味を持ちません。私たちの存在理由に触れる根本的な議題にも関わらず。
私自身もこの疑問を考え続けるべきか迷っています。あまりにもマクロ的な視点を持ち続けると目の前の問題に対処できなくなり、せっかく抽出した仮の結論も確認する方法がない机上の空論で終わってしまいそうな予感がします。だからこそ人類は神の存在を答えとして想像し、簡単にこの世界の意義を用意するために宗教が普及したのではないでしょうか。私の好きなエジプト神話からヒントを探してみることにします。